Hotchkiss さんの追悼記事
2025年11月25日
Hotchkiss さんの追悼記事
松田さんからのHotchkiss さんの追悼のお言葉をいただきましたので、こちらに掲載いたします。
私が青学校友会サンフランシスコ支部に初めて参加したのは、2004年2月の新年会でした。その時の参加者は40人ぐらいいたので、近くに座っていた数人の方しか覚えていません。その時に「校友会を手伝って」と会長の土屋和子さんに頼まれました。
その年の夏のBBQを開催したときに、ホチキスさんと初めてゆっくりと話ができました。その時のBBQは、初めての自分で企画でしたし、告知方法もわからなかったので、結局参加者は14人ぐらいでした。人数が少なかったお陰で、ゆっくりお話ができたのはとても良かったです。
「ホチキス」というお名前が文房具の名前を同じだなぁ、と思っていたら、やはりご主人さんの祖父か曾祖父がStaplerの開発に関わっていたらしい、とのお話をしてくだいました。ホチキスさんも、本当かどうかわからないけど、ご主人の家族の間ではそう言い伝えられている、とのことでした。
ホチキスさんはこの校友会の設立メンバーだったので、当時の話を土屋さんと一緒に教えてくれました。その話をしている様子を見ていると、お二人がとても若く見え、まるで女子大生に戻っているようでした。自分もホチキスさんや土屋さんのように、いつまでも若い心のまま歳の取れたらいいな、と思いました。
その後も新年会やBBQを企画するたびにホチキスさんは参加してくださり、色々と手伝ってくださいました。ホチキスさんは日本語補習校の教員もされていたので、土曜日にBBQを企画すると、次回は日曜日にしてほしい、と強くお願いされたのを覚えています。一度、とても晴れた夏の日にBBQを開催したときは、その公園に日影が全くなくご迷惑をおかけしてしまいました。今でも本当に申し訳なく思っています。
当時の私は独身だったので、ホチキスさんに会うたびに「相手は見つかった?」と心配してくださいました。結婚して子供が産まれ、子供たちが日本語補習校に入学した時に、一度ホチキスさんに会いました。本当に働いてらっしゃったんだ、と感動した記憶があります。
もうお会いできないのは寂しい限りですが、ホチキスさんと出会えた校友会のイベントは、私の大切な思い出です。ホチキスさん、ありがとうございました。