森静朗金融論ゼミナールOB会

MORI SHIZURO Seminar

森静朗金融論ゼミ同窓会

当会は、1970年(昭和45年)4月 森静朗金融論ゼミナールの第1期生が受講開始以降第22期生までのゼミナール卒業者222名が、故森静朗先生とその家族の親睦を図り、また情報交換することを目的としています。
会合は毎年11月の第2か第3土曜日に開催することを申し合わせてあります。

1970年(昭和45年)4月 森静朗金融論ゼミナール第1回生受講開始
同年 ゼミナール文集「こすもす」第一号を発刊
最終の第22回生(平成5年3月)の卒業まで毎年発刊
1972年(昭和47年)3月 第一期生卒業
1973年(昭和48年)3月 第二期生卒業と同時に当OB会を発足
以降毎年OB会を開催

2007(平成19)年11月26日 森静朗先生逝去

2024年4月15日当会の名称を変更
「森静朗金融論ゼミナールOB会」から「森静朗金融論ゼミ同窓会」へ

当会の呼称変更についてのアンケート実施報告

2024年04月13日

当会の呼称変更につきましては、昨今の各種社会条件の変化を受け当会の呼称の変更を検討しておりました。

今月メアド及びSNS登録会員に対して実施を致しましたアンケートの結果を踏まえまして、多数の支持がありました「森静朗金融論ゼミ同窓会」に変更を致します。

4月15日付けといたします。

なお、今回のアンケートはロングメール37名、SNS38名(一部重複あり)に対して3回発信を致しました。

各位のご協力に感謝申し上げます。

引き続き当会への参画をよろしくお願い申し上げます。

 今年度は、「青山学院創設150周年」、「校友会創設130周年」です。多彩な行事が予定されています。

また来年度は「青山学院大学 森静朗金融論ゼミ 創設55周年」です。特別な企画を練りたいと思います。

現在、札幌在住の9期阿部様が特別企画「森先生、北海道生縁の地を巡る日帰りツアー」の提案して頂いています。

詳細につきましては、校友会ホームページ及ぶ森ゼミ掲示板に掲載してありますのでご覧ください。

また、この件に関して、ご意見ご希望のある方は、是非お寄せください。

このほかにも55周年記念行事を検討したいと思いますので、各位のご意見ご希望等忌憚のないところを是非お聞かせください。

当会の呼称変更についてのアンケートを実施いたします。

2024年04月06日

会員各位

 

当会の呼称変更についてのアンケートを実施しています。

「伝助」の機能を活用し、下記URLをクリックのうえ回答を早急に開始してください。

回答の方法ほか説明が展開した中に記載してあります。ご意見等があればコメント欄に記載してください。

 

https://densuke.biz/list?cd=WchqymhyDeVSkcuD

 

2025年 北海道「森先生の縁の地を巡る小旅行」を企画中です!!

2024年01月28日

OB各位

札幌在住9期の阿部郁丸様が掲記の企画を出してくださいました。

大変すばらしい企画ですので各位のご意見をお聞かせください。

<企画案>
北海道内での故森先生縁の地を巡る日帰りツアーと札幌でのミニOB会の開催を企画したいと思っております。

実現の可能性を含め検討中ですが、OBの皆様のご意見ご質問を賜りたく、何か御座いましたらこの森ゼミ交流掲示板にご自由にお寄せ下さい。

❶来年(R7年)6月から10月頃を予定(皆様のご要望に応じます)。
❷札幌での集合、解散とします。
❸札幌までの交通手段、宿泊先の確保は各自で手配して頂きます。
❹併せて札幌市内でミニOB会を開催します。
❺その翌日、希望者のみで森先生縁の地(ご生誕地岩内町、倶知安町他)を私の自家用車で日帰りで巡ります。
❻会費は6千円から7千円程度を予定(❹❺込の場合)
以上宜しくお願い致します。

開催時期や見学地の要望他ご意見は、下記へ記載してください。

https://bbs5.sekkaku.net/bbs/morisemi/

以上

 

2023年11月11日 OB会開催報告!

2023年11月12日

          毎年欠かさず開催しているOB会を青学会館1階レストラン「フィリア」にて開催いたしました。

会員222名のうち、今回メアド、携帯を把握している71名の会員へメルマガ、SNSを発信しました。そのうち8名が不達。24名から返信を頂きました。
今回は、家族の介護が増加、孫のお祝い、自身の病気など真にやむを得ない事情のものが多くあり、結局当日は6名の参加となりました。遠くは札幌から毎年このためだけに参加して頂ける方もおられます。

今回の、話題は故森静朗先生の思い出話、先生のお墓、ご子息の話題に加えて、各位の体調、病気・治療・保険といった身近な話題、政治、経済、とくに中国金融不動産関係に伴う日本国内の将来、最近のM&Aの話題、老後のライフプラン環境の変化、趣味、国際親善などと、午後5時から9時まで4時間に亘り大変濃厚な情報の内容で盛り上がりました。

当会会計につきましては、全員に預金通帳を精査いただき、問題のないことをご承認を頂きました。

今後の運営について、ホームページへの寄稿促進と記念事業の企画、旅行なども企画しようということになりました。

各位来年11月9日土曜日か16日土曜日に開催予定のOB会への参加を目標にして頂きたいと思います。
また、その他企画につきましては都度掲示板、ホームページ、メルマガで連絡を差し上げます。また、校友会の新しいホームページのトップ画面右端に「マイページ」がありますので、各位でメアド他登録を行い、次に当会ホームページ他閲覧したいものを選択しますと更新があったときに校友会からメールで知らせてくれるという機能が加わりましたので、読み漏らしを無くすということから是非登録を行ってください。

当日の写真を添付しました。

会員便り: Vol.3「ゴールデンジュビリー」林 実(1973年経済学部卒)

2023年10月31日

大学卒業50年を経た卒業生に対してゴールデンジュビリー、25年を経たものにシルバージュビリーとして大学からお祝いの記念品を頂けるのですが、今回私が該当年度卒業生に当たり、9月23日大学同窓祭開催日にガウチャー記念礼拝堂にて全学部卒業生を代表して学長から頂戴するよう同窓祭実行委員長から指名がありました。

院長、理事長、学長からの祝辞を頂いたのち写真(大学庶務部提供)の通り全員の代表として壇上にて頂戴いたしましたのでご報告いたします。 

この後代表としてお礼の言葉を述べましたので、要旨を記載いたします。

 

「青山学院大学を卒業して ちょうど半世紀が過ぎ、この映えある時をお創り頂きました 学院関係者の皆様に篤く感謝を申し上げます。

 ここで私どもにとって 特別な思い出を 今共有してみたいと思います。

 私どもの1969年の入学試験は、1968年に『東大紛争』が起きた結果、1969年度の東大入試中止の影響とベビームーブ世代であったこと、さらに当時青山学院では学生運動が起きていないということで 青山学院大学への人気が高まり、入試倍率は60倍弱と当時の医学部並みの高倍率でした。

 ところが、入学後学生運動が学内でも起こり始め、数か月のうちに学校封鎖となり、まともな講義を受けることが不可能となっていました。

 たまたま私は、就職部で長期アルバイトをすることを選択しておりました。この時、職員の皆様からの温かい声掛けと青学らしい自主性を尊重する働き方に接することができましたことは貴重な経験となりました。

 1960年代後半から1070年代にかけて、日本は高度経済成長と同時に公害問題も深刻化していました。

 そのような中、1971年8月15日にアメリカのニクソン大統領が発表した『アメリカはドルと金の兌換を一時停止』、それにより国際通貨制度が崩壊し円が急騰、世界経済の枠組みも大きく変化しました。いわゆる『ニクソンショック』が起きました。

 外国為替は 1ドル=308円の固定相場制から、変動相場制に移行 1ドル=277円へ (2月14日)

こうして、私どもの就職活動戦線が大荒れとなり、大学生の『青田刈り』が最もひどくなった一方、企業によっては、指定校制を引き『青学は指定校ではない。』と会社訪問を断られる事態が多数起きていましたことを、皆様思い出されるのではないでしょうか。

 しかし、他方2年の成績で内定が出るものがいる、という異常な状況となっていました。ご出席の各位も辛い経験をお持ちであると思います。

 卒業時の1973年には、ガロが歌う『学生街の喫茶店』が大ヒット中でした。

 この年には第四次中東戦争が起こり、1973年10月17日、OAPEC の緊急閣僚会議で原油生産削減、供給制限を決定し、中東の産油国が原油価格を70%引き上げ、物価が急上昇しました。

 『(第一次)オイルショック』となり、石油資源の大半を中東に頼っていた日本経済にとって、大きな打撃となったことも忘れることができません。

 1973年11月1日に トイレットペーパー騒動も発生しました。私どもの就職後の仕事にも大きな影響が出ておりました。

 この私たちが在学した4年間に、今から思いましても100年に一度レベルの騒動を連続して経験しておりました。

 入学時と卒年次における大きな出来事を振り返ってみました。

 

在学時には 部活や愛好会、アドグル、ゼミと、学年の境を超え 『友達の友達はみんな友達だ!』ということばの通り 青学の特色を感じ、素晴らしい友人が多数できました。

 いま、50年を経て ここで再会しゴールデンジュビリーを頂けましたことを光栄に存じます。

 改めまして ここで学院 教職員 校友会の皆様へ篤く感謝を申し上げますとともに青山学院の永遠を祈念申し上げます。 ありがとうございました。」

写真:大学庶務部提供

会員便り:Vol.2 「六十の手習い(回転翼3級ドローン免許取得)」(1986年経済学部卒)

2023年01月16日

金融論の森先生ご指導の下、ソーントンのイングランド銀行と紙券信用論に関する卒論を執筆してから37年が経過した。
当時、同期の大半が、金融関係の会社に就職するなか、私は海外志向が強かった為、海外に行けるチャンスが多い企業に就職した。
第一の人生終わってみれば、航空貨物、自動車部品メーカーの海外営業部門、航空機輸入販売の専門商社、外資系のエンジンメーカーと数社を転じながら、北米駐在、欧州長期出張を含む数々の出張をさせて頂き、40カ国近く訪問する機会を頂いた。バブルの崩壊、金融危機、リーマンショック、レイオフ等幾つかの人生の転換期が有り、多少紆余曲折はあったが、ほぼ、自分の思い描いたサラリーマン人生を歩むことができた。

昨年定年を迎えるにあたり、第二の人生では、何か新しいことに挑戦したいと考えていた。その矢先、近くの大型ショッピングモールにドローンスクールが開校し、無料体験ができるとういう新聞記事が飛び込んできた。
以前からドローンについては、気にかけていたが、近づきになるチャンスを探っていた時であったので、渡りに船で即座に友人と申し込んだ。

体験会時に、インストラクターより、ドローンの活用は、動画の撮影はもとより、宅配便の配送、送電線等高所での点検の為の撮影、農薬散布等で需要の急拡大が見込まれる。現在、ドローンの操縦士が、約35,000人いるが、2025年には、約150,000人必要になるとの説明があった。それを聞いて、単に自分が操縦するだけでなく、操縦士を集めて起業するチャンスもあると考え、次に、3日間の回転翼3級の3日間コースに申し込んだ。


費用は、凡そ、自動車免許取得にかかる費用と同等と決して安くはないが、インストラクターがマンツーマンで、1日5時間徹底的に指導して下さり、安心して、無事規定時間内で、資格を取得することができた。
操縦方法は、簡単に言ってしまえば、上下方向に移動させるスティックと前後左右、斜め方向に移動させるスティックを指で操作するだけである。ただし、指を細かく繊細に動かす必要があり、少しでも力が入ってしまうと急加速して壁に激突しそうになり、何度も、インストラクターに助手席でブレーキを踏んで下さるように助けて頂いた。

ドローンは、資格を取得したからと言って、すぐにどこでも飛行させることができるわけではなく、飛行予定の数週間前に国土交通省に申請して承認を得る必要がある。
(資格がなくても、飛行可能ですが、資格取得者より、承認に時間がかかるとのこと。)
また、航空法等々に様々な法規により、飛行可能空域が制限されている。
国家試験も開始された為、少人数の内に国家資格を取得し、時代の先端をいくドローンを活用したビジネスを模索しつつ、自前のドローンを1日も早く青空に舞い上がらせる日を楽しみに操縦練習に励む今日この頃である。

写真は本人より提供。

 

会員便り:Vol.1 「 金融ゼミ×夏目漱石→アナウンサー!? 」 佐伯りさ(1993年経済学部卒)

2022年10月30日

バブル期の華やかなキャンパスライフを経て、故郷・愛媛でアナウンサーとなる夢を叶えたのは約30年前。地元ニュースや情報番組、スポーツ実況をはじめ、「ズームイン!!SUPER」「ZIP!」の愛媛キャスターなど、様々な経験を重ねてきた。そんな私が現在担当している番組が「坂の上のラジオ」。読書好きな方はお気づきだろうか。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にちなんだタイトルである。番組では愛媛ゆかりの人物の知られざるエピソードなどを紹介。「坂の上の雲ミュージアム」から生放送することもある。

                松山市は「坂の上の雲」のまちづくりとして、市内全体を「屋根のない博物館」に見立てて魅力を紹介する「フィールドミュージアム構想」を掲げており、ミュージアムはその中核施設の一つだ。
小説の主人公は、秋山好古・真之兄弟と正岡子規。子規の青春時代に関わる人物として夏目漱石も登場する。この漱石に、私は不思議な縁を感じずにはいられない。私の卒論にも「夏目漱石」が登場するからだ。
所属していたのは金融ゼミ。なのに卒論に漱石?そこには、読書好きだった指導教授の森静朗先生が深く関わっている。
「あなたは松山出身ですよね?だったら、漱石の作品を通して見えてくる貨幣論について考察してはどうだろう。」
漱石は人気作家となる前に英語教師として松山に赴任し、その時の経験から小説「坊っちゃん」を生み出したことはよく知られている。が、松山出身の私は恥ずかしながら、漱石作品はほとんど読んだことがなかった。
森先生の提案以来、「三四郎」「門」「それから」など小説のほか、エッセイや評論まで読み漁った。すると、漱石作品には「高等遊民」なる存在がしばしば登場することに行き当たる。彼らは高等教育を受けながらも職業に就くことを拒み、裕福な家の財産を費やして生きている。「金のためにする働き」に意味を見出せず、「金と離れたところで成すこと」にこそ意味があるという。それはちょうどバブルに浮かれ、それが弾けた後は「貸し剥がし」「貸し渋り」が横行するなど、金に振り回される平成初期の社会への大いなる皮肉とも感じられた。そんなことを考えさせたくて、先生は漱石を薦めてくれたのではないか…。

それから30年にわたる愛媛でのアナウンサー生活で、漱石文学を読み耽った経験は想像以上に私を助けてくれた。松山では、番組にイベントに何かと漱石が絡んでくるのだ。熊本の放送局と共同制作する番組も、NHKのアナウンサーとの朗読コラボ企画も、漱石がらみの番組はなぜか私が担当することが多い。これは、青山キャンパスで森先生が私にかけてくれた魔法ではないかと思いながらマイクに向かっている今日この頃である。

※「坂の上のラジオ」はradikoで全国各地でお聴き頂けます。

写真:愛媛放送提供

 

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