森静朗金融論ゼミ同窓会

MORI SHIZURO Seminar

森静朗金融論ゼミ同窓会

当会は、1970年(昭和45年)4月 森静朗金融論ゼミナールの第1期生が受講開始以降第22期生までのゼミナール卒業者222名が、故森静朗先生とその家族の親睦を図り、また情報交換することを目的としています。
会合は毎年11月の第2か第3土曜日に開催することを申し合わせてあります。

1970年(昭和45年)4月 森静朗金融論ゼミナール第1回生受講開始
同年 ゼミナール文集「こすもす」第一号を発刊
最終の第22回生(平成5年3月)の卒業まで毎年発刊
1972年(昭和47年)3月 第一期生卒業
1973年(昭和48年)3月 第二期生卒業と同時に当OB会を発足
以降毎年OB会を開催

2007(平成19)年11月26日 森静朗先生逝去

2024年4月15日当会の名称を変更
「森静朗金融論ゼミナールOB会」から「森静朗金融論ゼミ同窓会」へ

会員便り:Vol.2 「六十の手習い(回転翼3級ドローン免許取得)」(1986年経済学部卒)

2023年01月16日

金融論の森先生ご指導の下、ソーントンのイングランド銀行と紙券信用論に関する卒論を執筆してから37年が経過した。
当時、同期の大半が、金融関係の会社に就職するなか、私は海外志向が強かった為、海外に行けるチャンスが多い企業に就職した。
第一の人生終わってみれば、航空貨物、自動車部品メーカーの海外営業部門、航空機輸入販売の専門商社、外資系のエンジンメーカーと数社を転じながら、北米駐在、欧州長期出張を含む数々の出張をさせて頂き、40カ国近く訪問する機会を頂いた。バブルの崩壊、金融危機、リーマンショック、レイオフ等幾つかの人生の転換期が有り、多少紆余曲折はあったが、ほぼ、自分の思い描いたサラリーマン人生を歩むことができた。

昨年定年を迎えるにあたり、第二の人生では、何か新しいことに挑戦したいと考えていた。その矢先、近くの大型ショッピングモールにドローンスクールが開校し、無料体験ができるとういう新聞記事が飛び込んできた。
以前からドローンについては、気にかけていたが、近づきになるチャンスを探っていた時であったので、渡りに船で即座に友人と申し込んだ。

体験会時に、インストラクターより、ドローンの活用は、動画の撮影はもとより、宅配便の配送、送電線等高所での点検の為の撮影、農薬散布等で需要の急拡大が見込まれる。現在、ドローンの操縦士が、約35,000人いるが、2025年には、約150,000人必要になるとの説明があった。それを聞いて、単に自分が操縦するだけでなく、操縦士を集めて起業するチャンスもあると考え、次に、3日間の回転翼3級の3日間コースに申し込んだ。


費用は、凡そ、自動車免許取得にかかる費用と同等と決して安くはないが、インストラクターがマンツーマンで、1日5時間徹底的に指導して下さり、安心して、無事規定時間内で、資格を取得することができた。
操縦方法は、簡単に言ってしまえば、上下方向に移動させるスティックと前後左右、斜め方向に移動させるスティックを指で操作するだけである。ただし、指を細かく繊細に動かす必要があり、少しでも力が入ってしまうと急加速して壁に激突しそうになり、何度も、インストラクターに助手席でブレーキを踏んで下さるように助けて頂いた。

ドローンは、資格を取得したからと言って、すぐにどこでも飛行させることができるわけではなく、飛行予定の数週間前に国土交通省に申請して承認を得る必要がある。
(資格がなくても、飛行可能ですが、資格取得者より、承認に時間がかかるとのこと。)
また、航空法等々に様々な法規により、飛行可能空域が制限されている。
国家試験も開始された為、少人数の内に国家資格を取得し、時代の先端をいくドローンを活用したビジネスを模索しつつ、自前のドローンを1日も早く青空に舞い上がらせる日を楽しみに操縦練習に励む今日この頃である。

写真は本人より提供。

 

会員便り:Vol.1 「 金融ゼミ×夏目漱石→アナウンサー!? 」 佐伯りさ(1993年経済学部卒)

2022年10月30日

バブル期の華やかなキャンパスライフを経て、故郷・愛媛でアナウンサーとなる夢を叶えたのは約30年前。地元ニュースや情報番組、スポーツ実況をはじめ、「ズームイン!!SUPER」「ZIP!」の愛媛キャスターなど、様々な経験を重ねてきた。そんな私が現在担当している番組が「坂の上のラジオ」。読書好きな方はお気づきだろうか。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にちなんだタイトルである。番組では愛媛ゆかりの人物の知られざるエピソードなどを紹介。「坂の上の雲ミュージアム」から生放送することもある。

                松山市は「坂の上の雲」のまちづくりとして、市内全体を「屋根のない博物館」に見立てて魅力を紹介する「フィールドミュージアム構想」を掲げており、ミュージアムはその中核施設の一つだ。
小説の主人公は、秋山好古・真之兄弟と正岡子規。子規の青春時代に関わる人物として夏目漱石も登場する。この漱石に、私は不思議な縁を感じずにはいられない。私の卒論にも「夏目漱石」が登場するからだ。
所属していたのは金融ゼミ。なのに卒論に漱石?そこには、読書好きだった指導教授の森静朗先生が深く関わっている。
「あなたは松山出身ですよね?だったら、漱石の作品を通して見えてくる貨幣論について考察してはどうだろう。」
漱石は人気作家となる前に英語教師として松山に赴任し、その時の経験から小説「坊っちゃん」を生み出したことはよく知られている。が、松山出身の私は恥ずかしながら、漱石作品はほとんど読んだことがなかった。
森先生の提案以来、「三四郎」「門」「それから」など小説のほか、エッセイや評論まで読み漁った。すると、漱石作品には「高等遊民」なる存在がしばしば登場することに行き当たる。彼らは高等教育を受けながらも職業に就くことを拒み、裕福な家の財産を費やして生きている。「金のためにする働き」に意味を見出せず、「金と離れたところで成すこと」にこそ意味があるという。それはちょうどバブルに浮かれ、それが弾けた後は「貸し剥がし」「貸し渋り」が横行するなど、金に振り回される平成初期の社会への大いなる皮肉とも感じられた。そんなことを考えさせたくて、先生は漱石を薦めてくれたのではないか…。

それから30年にわたる愛媛でのアナウンサー生活で、漱石文学を読み耽った経験は想像以上に私を助けてくれた。松山では、番組にイベントに何かと漱石が絡んでくるのだ。熊本の放送局と共同制作する番組も、NHKのアナウンサーとの朗読コラボ企画も、漱石がらみの番組はなぜか私が担当することが多い。これは、青山キャンパスで森先生が私にかけてくれた魔法ではないかと思いながらマイクに向かっている今日この頃である。

※「坂の上のラジオ」はradikoで全国各地でお聴き頂けます。

写真:愛媛放送提供

 

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