森静朗金融論ゼミ同窓会

MORI SHIZURO Seminar

会員便り: Vol.3「ゴールデンジュビリー」林 実(1973年経済学部卒)

2023年10月31日

大学卒業50年を経た卒業生に対してゴールデンジュビリー、25年を経たものにシルバージュビリーとして大学からお祝いの記念品を頂けるのですが、今回私が該当年度卒業生に当たり、9月23日大学同窓祭開催日にガウチャー記念礼拝堂にて全学部卒業生を代表して学長から頂戴するよう同窓祭実行委員長から指名がありました。

院長、理事長、学長からの祝辞を頂いたのち写真(大学庶務部提供)の通り全員の代表として壇上にて頂戴いたしましたのでご報告いたします。 

この後代表としてお礼の言葉を述べましたので、要旨を記載いたします。

 

「青山学院大学を卒業して ちょうど半世紀が過ぎ、この映えある時をお創り頂きました 学院関係者の皆様に篤く感謝を申し上げます。

 ここで私どもにとって 特別な思い出を 今共有してみたいと思います。

 私どもの1969年の入学試験は、1968年に『東大紛争』が起きた結果、1969年度の東大入試中止の影響とベビームーブ世代であったこと、さらに当時青山学院では学生運動が起きていないということで 青山学院大学への人気が高まり、入試倍率は60倍弱と当時の医学部並みの高倍率でした。

 ところが、入学後学生運動が学内でも起こり始め、数か月のうちに学校封鎖となり、まともな講義を受けることが不可能となっていました。

 たまたま私は、就職部で長期アルバイトをすることを選択しておりました。この時、職員の皆様からの温かい声掛けと青学らしい自主性を尊重する働き方に接することができましたことは貴重な経験となりました。

 1960年代後半から1070年代にかけて、日本は高度経済成長と同時に公害問題も深刻化していました。

 そのような中、1971年8月15日にアメリカのニクソン大統領が発表した『アメリカはドルと金の兌換を一時停止』、それにより国際通貨制度が崩壊し円が急騰、世界経済の枠組みも大きく変化しました。いわゆる『ニクソンショック』が起きました。

 外国為替は 1ドル=308円の固定相場制から、変動相場制に移行 1ドル=277円へ (2月14日)

こうして、私どもの就職活動戦線が大荒れとなり、大学生の『青田刈り』が最もひどくなった一方、企業によっては、指定校制を引き『青学は指定校ではない。』と会社訪問を断られる事態が多数起きていましたことを、皆様思い出されるのではないでしょうか。

 しかし、他方2年の成績で内定が出るものがいる、という異常な状況となっていました。ご出席の各位も辛い経験をお持ちであると思います。

 卒業時の1973年には、ガロが歌う『学生街の喫茶店』が大ヒット中でした。

 この年には第四次中東戦争が起こり、1973年10月17日、OAPEC の緊急閣僚会議で原油生産削減、供給制限を決定し、中東の産油国が原油価格を70%引き上げ、物価が急上昇しました。

 『(第一次)オイルショック』となり、石油資源の大半を中東に頼っていた日本経済にとって、大きな打撃となったことも忘れることができません。

 1973年11月1日に トイレットペーパー騒動も発生しました。私どもの就職後の仕事にも大きな影響が出ておりました。

 この私たちが在学した4年間に、今から思いましても100年に一度レベルの騒動を連続して経験しておりました。

 入学時と卒年次における大きな出来事を振り返ってみました。

 

在学時には 部活や愛好会、アドグル、ゼミと、学年の境を超え 『友達の友達はみんな友達だ!』ということばの通り 青学の特色を感じ、素晴らしい友人が多数できました。

 いま、50年を経て ここで再会しゴールデンジュビリーを頂けましたことを光栄に存じます。

 改めまして ここで学院 教職員 校友会の皆様へ篤く感謝を申し上げますとともに青山学院の永遠を祈念申し上げます。 ありがとうございました。」

写真:大学庶務部提供