サンフランシスコ支部

サンフランシスコ支部

サンフランシスコ支部は卒業生の親睦・ネットワーキングを広げることを主に活動しております。 また、青山学院大学からサンフランシスコ州立大学に交換留学されている現役大学生への支援にも力を入れており、将来を担う若者の育成に貢献してゆくことを目指しております。

Hotchkiss さんの追悼記事

2025年11月28日

通常記事

Hotchkiss さんの追悼記事

松田さんからのHotchkiss さんの追悼のお言葉をいただきましたので、こちらに掲載いたします。

私が青学校友会サンフランシスコ支部に初めて参加したのは、2004年2月の新年会でした。その時の参加者は40人ぐらいいたので、近くに座っていた数人の方しか覚えていません。その時に「校友会を手伝って」と会長の土屋和子さんに頼まれました。

その年の夏のBBQを開催したときに、ホチキスさんと初めてゆっくりと話ができました。その時のBBQは、初めての自分で企画でしたし、告知方法もわからなかったので、結局参加者は14人ぐらいでした。人数が少なかったお陰で、ゆっくりお話ができたのはとても良かったです。

「ホチキス」というお名前が文房具の名前を同じだなぁ、と思っていたら、やはりご主人さんの祖父か曾祖父がStaplerの開発に関わっていたらしい、とのお話をしてくだいました。ホチキスさんも、本当かどうかわからないけど、ご主人の家族の間ではそう言い伝えられている、とのことでした。

ホチキスさんはこの校友会の設立メンバーだったので、当時の話を土屋さんと一緒に教えてくれました。その話をしている様子を見ていると、お二人がとても若く見え、まるで女子大生に戻っているようでした。自分もホチキスさんや土屋さんのように、いつまでも若い心のまま歳の取れたらいいな、と思いました。

その後も新年会やBBQを企画するたびにホチキスさんは参加してくださり、色々と手伝ってくださいました。ホチキスさんは日本語補習校の教員もされていたので、土曜日にBBQを企画すると、次回は日曜日にしてほしい、と強くお願いされたのを覚えています。一度、とても晴れた夏の日にBBQを開催したときは、その公園に日影が全くなくご迷惑をおかけしてしまいました。今でも本当に申し訳なく思っています。

当時の私は独身だったので、ホチキスさんに会うたびに「相手は見つかった?」と心配してくださいました。結婚して子供が産まれ、子供たちが日本語補習校に入学した時に、一度ホチキスさんに会いました。本当に働いてらっしゃったんだ、と感動した記憶があります。

もうお会いできないのは寂しい限りですが、ホチキスさんと出会えた校友会のイベントは、私の大切な思い出です。ホチキスさん、ありがとうございました。

 

松田 暁博 (理工学部物理学科卒)

Hotchkiss さんのObituaryとMemorial Serviceのご案内

2025年11月28日

通常記事

お嬢さんのMishiさんによる Hotchkiss さんのObituary

夏のBBQの記事でご報告いたしました通り、2024年12月に支部発足に尽力したホチキスさんがご逝去されました。
ホチキスさんのお嬢さん、Mishi Hotchkiss さんより以下のObituaryの記事と写真をいただきましたので、支部のホームページにも掲載いたします。ホチキスさんのご冥福をお祈りいたします。

Sachiko Suga Hotchkiss passed away peacefully on December 9, 2024, at the age of 86.

Born in Fukuoka, Japan, in 1938, Sachiko overcame the challenges of post-war rural Japan with determination and grace. She earned a degree in education from Aoyama Gakuin University in Tokyo before immigrating to the United States, where she pursued further studies in education at San Francisco State University. Shortly thereafter, she met and married Dr. John Hotchkiss.

An accomplished educator, Sachiko dedicated decades to teaching at Hoshu-ko Japanese School in San Francisco. She was also an entrepreneur, hypnotherapist, and nurse, committed throughout her life to education, personal growth, and the care of others.

Beyond her professional achievements, Sachiko was known for her love of life and broad range of interests. She was an avid golfer, dancer, aspiring comedian, and active member of Toastmasters International, admired for her intelligence and humor. A devoted traveler, she explored the world while maintaining a deep connection to her Japanese heritage, returning annually to Japan to honor her ancestors.

Sachiko was preceded in death by her daughter, Nyree Hotchkiss, and son, Jeff Hotchkiss. She is survived by her daughters, Mishi Hotchkiss and Leslie Hotchkiss; granddaughters, Cali Gallardo and Emily Hotchkiss; and grandsons, Austin Hotchkiss and Atlas Grogan-Hotchkiss.

 

 

 

Memorial Serviceのご案内

A memorial service will be held on Sunday, December 7, at 2:00 p.m. at the Buddhist Church of San Francisco.

Buddhist Church of San Francisco
1881 Pine Street, San Francisco, California 94109.
https://www.buddhistchurchofsanfrancisco.org/

2025年 青学校友会サンフランシスコ支部 秋の夕食会 開催報告

2025年11月27日

活動報告

2025年 青学校友会サンフランシスコ支部 秋の夕食会開催報告

2025年11月8日(土)、秋の夕食会を開催いたしました。当日は秋晴れの穏やかな一日で、West Portalのイタリアンレストランにて総勢14名が参加されました。今回は、SFSUへ留学中の3名に加え、青山学院高等部を卒業し現在ベイエリアの大学で学んでいる4名の若い方々にもご参加いただき、世代を超えた賑やかな会となりました。

参加者の皆さんには、渡米のきっかけや新しいことへの挑戦などについてお話しいただき、お互いに経験や知恵を分かち合う有意義な時間となりました。異国の地において、年齢を問わず「青山学院」という共通の絆を通じて交流を深められる機会は大変貴重です。

次回は新年会をZoomで開催予定です。より多くの皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

辻 久美子 (国際政治経済卒)

 

2025年 青学校友会サンフランシスコ支部 BBQ 開催報告

2025年09月19日

活動報告

2025年 青学校友会サンフランシスコ支部 BBQ 開催報告

夏のBBQで世代を越えた笑顔が弾ける
卒業生や留学生ら35人、再会と新しい出会いに胸を躍らせる

青山学院大学校友会サンフランシスコ支部は8月24日、恒例の夏のBBQ大会を開催した。会場はサンブルーノ市のジュニペロ・セラ公園で、当日は卒業生やその家族のほか、サンフランシスコ州立大学に留学中の学生も参加。犬を連れた姿もあり、和やかな雰囲気の中で交流が広がった。参加者は約35人にのぼり、初参加の顔ぶれも交えて親睦を深めた。

 

参加者全体集合写真

 

同支部は1994年に結成され、昨年30周年を迎えた。これまで新年会やBBQ大会、食事会を中心に不定期で交流行事を行ってきた。
当日は、炭火で焼かれたチキンや牛肉に加え、ブラジル風ピッカーニャなど豪快な一皿が振る舞われ、持ち寄りの多彩な料理がテーブルを彩った。皿をつつきながら交わされる談笑は、海外で暮らす同窓の支え合いと活力を改めて感じさせた。

参加者の一人、1987年ごろから校友会に参加するNoriko Yashima Balintさんも夫と共に姿を見せ「毎年、楽しみにしているイベントです」と語った。

 

また、支部発足に尽力した松尾あきらさん、土屋さん、ホッチキスさん、成沢さんら創設メンバーのうち、ホッチキス幸子さんが2024年12月に逝去されていたことも報告された。また、最高齢会員で体調不良のため今回のBBQには参加できなかったペダーソン啓子さんについても言及があり、この秋に有志が集まって「啓子さんを囲む会」を開く予定だという。

長岡宏一 文学部第二部 英米文学科

BBQの会のスナップ写真はこちらのリンクからご覧いただけます:🔗 [青学校友会SF支部 BBQ 2025 アルバム]

2025年 青学校友会サンフランシスコ支部 昼食会 開催報告

2025年05月30日

活動報告

2025年 青学校友会サンフランシスコ支部 昼食会 開催報告

2025年5月18日(日)に 春の昼食会・留学生送別会をサンフランシスコの地中海・トルコ料理店 Bursaにて開催いたしました。

校友会からは秦さん、原田さん、戸貝さん、私(千葉)、そして交換留学生3人の方々にご参加いただきました。居崎さんは、昼食会に向かわれている途中、Bay To Breakers 直後の大渋滞に巻き込まれて身動きできなくなり、無念のUターン。お会いできず大変残念でした。

 

参加者全員での記念写真

 

留学生の方々は五月末までに日本に帰国予定とのことで、米国留学での経験・感想等に話題も盛り上がりました。また戸貝さんもこの六月で企業派遣での一年間の留学を修了され日本にご帰国なさるようです。何かと五月~六月は移動、引っ越し等ビタースイートな感傷的な時期になることも多いですが、ご帰国されてからも更なるご活躍を校友会一同心よりお祈りしております。そしてまたいつでも戻っていらしてきてくださいね!

 

参加された留学生3名


 
今回お目にかかることできなかった方々にはまた次回、夏のBBQにて(詳細については後日ご連絡申し上げます)お会いできることを楽しみにしております。

青山学院校友会サンフランシスコ支部
千葉央恵 (1998年 国際政経卒業)

2025年 青学校友会サンフランシスコ支部 オンライン新年会 開催報告

2025年05月30日

活動報告

青学校友会サンフランシスコ支部 オンライン新年会 2025 開催報告

2025年1月25日(土)の晩、青山学院大学校友会サンフランシスコ支部は、オンライン新年会を開催しました。新しい年の始まりを祝うため、現地在住だけでなくすでに日本に帰国された笠原さんと遠藤さん、また新たに校友会に入られた2名の方々も加えて、計12名の校友がZoomを通じて集まり、さまざまなお題で盛り上がりました。

 

12名の参加者

 

冒頭では、支部長の秦さんからの挨拶とともに、2025年の運営計画が語られ、今年も多くの活動が予定されていることが発表されました。

今回の新年会は12人とこじんまりした集まりでしたが、その分インタラクティブな会話が進み、和やかな雰囲気の中で楽しい時間を過ごすことができました。一人一人が注目され、話す機会が多かったことも良かった点の一つです。

新年会では、最近新たに校友会に加わってくださった2名の方々の自己紹介や参加者の近況報告などで大いに盛り上がりました。長橋さんは法学部出身で、米国のロースクールを経て現在サンフランシスコの弁護士事務所に勤務中だそうです。高橋さんは文学部出身で、駐在員として渡米し夜間のMBAを取得後、現在はVCに転職されたというご経歴をお持ちとのことでした。

近況報告では、Babinさんはスポーツ観戦がお好きで、Dodgersの生地を使って浴衣を自作し、お子さんに着せて大谷翔平の試合観戦をした時のお話と写真をシェアしてくださいました。そのクリエイティブなアイデアと微笑ましいエピソードに、参加者一同が心温まるひとときを共有できました。

 

 

また、笠原さんが昨年11月に母校で行われた青学創立150周年記念式典と祝賀会に参加された際の雰囲気をシェアしてくださいました。その他、ご家族やお仕事のアップデート、健康(不健康?)の話題など、多岐にわたるテーマで盛り上がりました。

参加してくださった皆様、そして支援してくださったすべての方々に心から感謝申し上げます。今年も青学サンフランシスコ支部校友会をどうぞよろしくお願いいたします。

Wolfe 進(2004年国際政経卒)

2024年 秋の昼食会

2024年11月25日

活動報告

2024年 秋の昼食会

先週の11月17日(日曜日)、SF青学校友会恒例の秋の食事会を、San FranciscoのDumpling Kitchenという飲茶レストランで開催しました。出来上がったものがワゴンで巡回する形式ではなく、食べたいものを頼む形の飲茶でした。どれも本格的でおいしかったです。

残念ながらお怪我のため、お食事会を企画してくださった秦さんはご参加できませんでしたが、千葉さんが幹事として、仕切ってくださいました。校友会からは幹事の千葉さん、中川さん、バリントさん、辻さん&辻さんの奥様、戸貝さん、原田さん。そして、留学生の橋本さん、江積さん、寒水さんにもご参加いただきました。

人数は少なかったですが、こじんまりと和やかなお食事会となりました。

今回ご参加できなかった校友会の皆さんとも、次の機会にお会いできればと思います。

寒い時期になりましたが、ご自愛ください。

 

1985年

理工学部経営工学科卒業

原田 勝

青山学院校友会サンフランシスコ支部発足30周年記念インタビュー 第二回:Noriko Yashima Balint さん

2024年11月15日

インタビュー記事

青山学院校友会サンフランシスコ支部発足30周年記念インタビュー

第二回:Noriko Yashima Balint さん

1. お名前と簡単な経歴 : お名前と青山学院で在籍した部と簡単な経歴を教えてください。

現在のフルネームは、Noriko Yashima Balint です。結婚後は Noriko Balint だったのですが、米国籍を取得した時に Yashima をミドルネームに入れました。旧姓は八島紀子です。結婚した当時は夫の姓に変えるのが当然と信じていたのですね。ミドルネームに旧姓を加えるなんてことは考えもしませんでした。

1968年に青山学院大学第II学部英米文学科 を卒業しました。

東京で生まれました。生後6ヵ月に父が出征し、硫黄島で戦死したため。父の実家にもどりました。9歳の時に新潟県村上市の母の実家に引っ越し、母が地元では著名だった木彫家と再婚し、養父は全国的にも実力ある芸術家となるために東京に移り住むこととなりました。1964年に青山学院大学の第二部に入学し、昼間は有楽町にあるツーリストインフォメーションセンター外国人案内所に務めていました。また、青学ではヨーロッパ研究会に所属し、ここで知り合った仲間とは今でも交流があります。

 

2. 渡米について:いつ、どのようなきっかけで渡米されましたか?             

ツーリストインフォメーションセンターにお客様として来たPeter Balint と知り合い、1968年3月青学卒業後、9月に結婚して、1969年に渡米しました。上記ヨーロッパ研究会にピーターも名誉会員として活動に参加することとなりました。米国籍でもハンガリー出身なので、一応ヨーロッパ人と見なして顧問にすることにしたのです。私の家族の反対を押し切って私達が結婚するのに協力してくれたのもヨーロッパ研究会(ヨロ研)の仲間です。

紀子さん & ピーターさん

 

3. 校友会参加の経緯: 青学校友会サンフランシスコ支部に参加された時期とそのきっかけや、どのように関わっていらっしゃったかを教えてください。

私は渡米したときはすでに娘を妊娠しており、知らない国での妊娠・子育てに奮闘中で校友会に参加する余裕など全くない状態でした。そんな中でジャパンタウンは日本食を買うばかりでなく、私の心のよりどころでもありました。「北米毎日」という新聞を知り、青山学院大学同窓会(まだ校友会とは言っていなかったはずです)の存在を知ったのもジャパンタウンでのことだったと思います。校友会に参加したいと思いながら、遂に参加したのは1987年ころで、銀行に務めていたこともあり、参加し始めてまもなく会計係になりました。

 

4. 設立当初について:青山会(校友会)発足当初について – 青山会(校友会)が発足した当時の様子をご存じでしたら教えてください。また、校友会の設立に尽力された方々との思い出もありましたら教えてください。

北米毎日の記者をされていた、松尾あきらさんと土屋さん、ホッチキスさんそれに成沢さんは青山会設立発起人のメンバーで、この方たちが集まると設立当時のエピソードなどを話していらして、私もその場にいたのに今となっては何も思い出せません。松尾さんは人気のコラムをお持ちでジャパンタウンの顔役でもありましたから、恐れ多くて私などが話かけられる雰囲気ではなかったのです。多分青山学院卒業生でサンフランシスコ・ベイエリアに移住していた方々が、キクオブトウキョウで集まって飲み会などをしていたところから始まったのではないかと想像します。

 

5. 校友会活動について - 校友会で一番思い出深いイベントや活動はなんですか?また、校友会の運営に関わる中で特に印象に残っているエピソードがありましたら教えてください。校友会活動の中で、やりがいを感じた瞬間などもありましたら教えてください。

青山会の会計係になったものの、もともと私は表舞台にたつのは苦手で裏方が好きです。表に立つのはいつもスタイリッシュで人望もある土屋さんでした。ホッチキスさんはおおらかな人柄で人気がありゴルフ好きで人脈もおありでした。この「3人娘」ならず「3人おばさん」でそれぞれの持ち味を生かして会を運営していました。

まだパソコン、インターネットや携帯なども普及しておらず、連絡はほとんど手作業です。郵便や電話、ファクスで連絡し、年会費$30くらいを有志から徴収して連絡費にあてていました。私が入会したときは、年に2,3回ヒルトンホテル内にあった「キクオブトウキョウ」で夕食会があり、集まるのは7~8人、または2~3人なんてこともあり、会員を増やすのが先決問題だったのです。私は必死で会員のリクルートに奔走し、青学の幼稚園を卒業した歯医者さんがいると聞くと、そこの患者になり、その方が会に来てくださったときは本当にうれしかった。またある会社の上役だという青学卒業生が東京から出張時に会に参加してくださり、渡哲也は親友で飲み友達だと豪語していたのを真に受けて、渡さんが会に出席して下さったら会員が増えるのではとその方を丸の内のオッフィスまで訪ねていったら、あっさり追い出されました。お酒の席で、「渡哲也なんてね。私が言えばすぐ来ますよ。」なんて言ったら、本当に私が来てしまったのでご本人も”あやー、”と思われたことでしょうね。ナイーブというか天然なんですね、私は。

キクオブトウキョウのオーナーの成沢さんは、日本の料亭「石亭」の息子さんとそのレストランを開業し、青学卒業生でもあり多分青山学院同窓会の発起人だと記憶しています。成沢さんにはレストランを閉店なさるまで大変お世話になりました。格安で豪華なお料理を出してくださり、その当時の会員は皆その恩恵を受けたものです。その他、成沢さんは優秀なシェフでピクニックでは腕を奮ってくださり、ピクニックの人気で会員はどんどん増えていきました。

あの当時ピクニックはマリンカウンティでのことが多く、マクネアズビーチ、パラダイスコーブなどを覚えています。マリンカウンティにお住まいのホッチキスさんがプール付きの素敵なご自宅を提供して下さっての昼食会も忘れられません。ピーコックカントリークラブのマネージャーである卒業生がいたころがあり、ホッチキスさんが会員だったこともあって、豪華なゴルフ・アウティングを企画したこともありました。この方はこの後、指宿の方のカントリークラブに栄転され、やはり青学卒業生という指宿のホテルオーナーとも提携して青学サンフランシスコ支部からのゴルフツアーなどという夢のようなお話も出たのですが、いつの間にか立ち消えになってしまいました。

青学野球部が来たとき、色々企画して楽しく過ごして頂いたこと、ペギー葉山さんがいらした時、サンフランシスコ支部の存在を喜んで頂いたこと、私にとってはやりがいを感じた瞬間ばかりでした。でも一番の思い出深い出来事は、”会には参加出来ないけれど、それらのイベントのご案内を受け取ることによって繋がりを感じられるのでいつも楽しみにしています。”との感謝状を受け取ったことです。もうすぐ100歳に届くという方でした。裏方冥利につきると思いませんか?

 

6. 校友会の変遷について:設立直後と現在を比べて、校友会の変化や成長について感じることはありますか? 校友会の活動や運営において、特に変わった点や進化したと思われる点がありましたら教えてください。

インターネット使用の運営方法については、私には何も言うことはありません。進化したと言えば、そうなのでしょうね。その時代に合った運営をしていけばいいのだと思いますが、その進化に取り残されて去って行った人を何人か知っています。年代にかかわりなく交流して行ける場というのが校友会の良さです。誰でも参加出来る環境が残されて行くことを願っています。

 

7. 個人的な経験について:校友会の活動を通して得た友人や人脈について教えてください。また、校友会活動を通して何か学んだことなどがありましたら教えてください。

2006年から2009年にかけて、ピーターの赴任でロンドンに住む機会を得ました。誰も知り合いがなかったので、ロンドンの青山会会長に連絡を取り、早速定例会に出席して、伊藤いづみさんに会いました。その当時の会長は依田さんという男性で今はパイプオルガン奏者として活躍していらっしゃいます。

いづみさんは依田さんの後にずっと会長をされている人で今でも親しくお付き合いをしています。いづみさんは明るく、社交的ですぐ色々な人と親しくなってしまうような人です。スポーツが好きで、大の相撲好きであり、私がズームの新年会でパンデミックで唯一ポジティブな出来事と申し上げた、スカイプによる相撲観戦を続けている相手というのも実はいづみさんです。昨年11月にはご一緒に福岡場所に行きました。いづみさんはロンドン青学校友会の顔で、何年か前には青山会ロンドン支部同窓会東京支部まで結成されました。私も東京で1回参加させて頂きました。活動に関してはフェイスブックグループで見ることが出来ます。青山学院大学の裏手にある校友会本部にも帰省される毎に訪問されるそうです。

これは余談ですが、私も1回だけこの本部に伺ったことがあります。校友会から資金が出るようになる前のことです。売店に寄って青山学院大学の旗とピクニックの時使うエプロンを買い求めました。当時の会員から集めた会費で賄いましたので、先輩たちからの贈り物と思ってください。

私がロンドンにいた当時、クリントイーストウッドの硫黄島の映画2本が上映されました。私の経歴のご質問に父の硫黄島での戦死について記述したのは、このエピソードをお話ししたかったからです。戦争とか硫黄島に対して屈託を抱いていた私は硫黄島の映画を見にいくことは出来ないと思っていました。その私の背中を押して下さったのがいづみさんです。お蔭で映画を見に行っただけではなく、政府が主催する硫黄島慰霊祭にこれまで3回参加し、私の中で何等かのクロージャーを迎えることが出来ました。

ロンドン支部の定例会はその頃は渡辺さんという方が経営していた「酔処」(よいしょ)という居酒屋で行われていました。渡辺さんは青学卒業生でラグビー部に所属されていたそうで、ラグビーのOBたちが良く飲みにきていたようです。ロンドンのキクオブトウキョウみたいなものでした。食事もとても美味しくて、そこに行くと日本にいるみたいでした。校友会のお蔭でロンドンでのお友達が出来、ロンドン生活を満喫出来ただけでなく、生まれてからずっと抱いてきた気持に整理をつけることが出来たのですから、このときほど校友会に属していることを感謝したことはありません。

ロンドンよりのご友人と

 

8. 未来へのメッセージ:これからの校友会に期待することはありますか?また、今後の校友会メンバーへのメッセージや校友会の未来に向けて何かアドバイスなどがありましたら教えてください。

重複になりますが、特にありません。これからはインターネットを駆使して会を運営されていくのだと思いますので、私のようなオールドタイマーがアドバイスすることはあると思えません。但し、青山学院校友会がもっとグローバルになったらいいのにという夢は私の中にずっとありました。他の国に移住した卒業生がどのように生活を送られているのか知れたらいいですね。最後に小さいことですが、校友会本部から送られてくる資金については使用法についてもっと皆の要望を聞いてほしいと思います。今は留学生への出費に偏っているように感じます。

紀子さん & 伊藤いづみさん

校友会ニュース