静岡県西部支部

SHIZUOKAKEN SEIBU SHIBU

第100回箱根駅伝を応援する集い

2024年01月18日

山中宏美(S53経済)

今年も校友会静岡県西部支部では,令和6年1月2日・3日に「箱根駅伝を応援する集い」をパブリック・ビューイング方式で開催いたしました。折しも1月1日に「令和6年能登半島地震」が起こり大きな被害が発生しました。被災者の方々の胸中を思うと胸が痛みました。そんな中で「第100回」となる「箱根駅伝」も一時は開催も危惧されましたが、開催が決定となり例年通り「応援の集い」も開催いたしました。2017年からスタートした「応援の集い」も今回で7回目(2022年はコロナ禍で中止)になりました。今年も2日間で延べ25名の校友に参加していただき母校への応援をしました。我が支部は静岡県と言うこともあり直接現地に応援に行かれた方が何名かおられました。今年の「応援する集い」の現象として復路の1月3日の参加者数がはじめて往路の2日の参加者数を上回ったことです。これは母校の往路での結果が影響したものと思われます。大会前の評価ではライバル校の「1強」との声が大きく,原監督からも「2位でいいよ」と言っていたほどでしたので、戦力の差が大きいのかなと思われました。「負けてたまるか大作戦」という作戦名からもうかがえますように「1強」を追いかける立場なのかなと思われました。
そんな中、私は例年通り1月2日朝7時に家を出てパブリック・ビューイングの会場に向かいました。実は私は毎朝健康管理の一貫として血圧測定をしているのですが、例年通り通常日より測定値が10程高くなっていました。会場に8時について会場の設営が始まった時に、大手町でスタートの号砲が鳴り響きました。パブリック・ビューイングのスタートは10時なのでいつもこの準備時間は一人での応援なのですが結構緊張するものです。1区の荒巻選手が9位とライバル校と35秒差で2区の黒田選手に襷が渡りました。今年黒田選手は絶好調だと聞いていましたので大変期待が持てました。予想通りの走りで2位にあがり3区の太田選手に襷が渡った頃から参加者が集まり始めました。一人・二人と参加者が集まるたびに太田選手がライバル校にせまり会場の雰囲気が盛り上がり始めました。そして全員が集まった時に、ついに太田選手がライバル校を抜き逆に差を付けはじめ、トップで4区の一世選手に襷が渡った時は大拍手が起こりました。これが集団で応援するときの醍醐味だなとつくづく思いました。そして一世選手もライバル校に差を付け5区の若林選手に襷が渡った時は参加者全員の目が画面に釘付けになりました。往路のゴールテープを「若の神」が切った時は「大拍手」と「大歓声」が起きました。差が2分38秒と聞いた時は誰もが「これはいけるね」と声を掛け合っていました。
2日目も私は8時に会場につき準備(1日目ほどやることはないのですが)6区野村選手のスタートを一人で見守りました。昨年のこともあり心配しながら一人で応援したのですが,区間2位と頑張りライバル校との差を広げました。7区山内選手も確実な走りで差は広がるばかりでした。2日目も10時を過ぎ参加者が集まり始めると、8区塩出選手9区倉本選手と連続区間賞で応援の声はヒートアップするばかりでした。そしてついに10区宇田川選手が投げキッスをしながら両手を広げてゴールテープを切った時は大画面を背景にして全員で記念写真を撮りました。全員が大満足・笑顔で写真に収まりました。まさか、ライバル校に6分35秒も差を付け大会新記録で勝てるなんて誰もが思っていませんでした。先にも書きましたように,パブリック・ビューイングでの2日目としては最高の参加者数でしたので、今まで味わったことのない盛り上がった雰囲気になりました。
能登の皆様方には申し訳ないと思いつつ,全員で優勝の喜びを分かち合いました。原監督・選手の方々に本当に感謝の念で一杯になりなりました。母校への思いが、また一段と強くなった大会でした。参加者全員が感謝の念を口にしながら会場の片付けをして帰路につきました。