大学日本文学科同窓会

「第21回教養講座 初冬の文学散歩」伝統文化に親しむ

12月2日土曜日に鎌倉で流鏑馬と能舞台を愉しむ初冬の文学散歩を実施しました。
当日は好天に恵まれ、9時半に湘南モノレールの湘南藤沢駅に集合し、歩いてすぐの大日
本弓馬会流鏑馬鎌倉教場に向かいました。
教場では正統な形式での流鏑馬神事と流鏑馬実射を見学しました。目の前での流鏑馬実射
は本当に迫力があり、的を射貫いた際には大きな歓声が上がりました。
流鏑馬の後は近くの深沢小学校校地内にある梶原一族の供養塔で景時等を偲び、近所のラ
ーメン屋さんもしくは喫茶店で昼食を取りました。どちらも美味しかったです。
その後深沢小学校からバスに乗り、長谷観音バス停で降り、鎌倉能舞台に向かいました。
中森貫太さんの案内で能面体験をしたり、カフェ神楽で抹茶と干菓子を戴いたりしました
。貴重な経験でした。
そこから甘縄神明神社まで歩き、万葉歌碑や安達盛長邸跡そして北条時宗産湯の井戸を見
学後、記念の写真撮影を行い、江ノ電長谷駅で解散しました。
有益で愉しい文学散歩でした。企画を立て、実行した方々に感謝したいと思います。

「青山学院大学 日本文学会」秋季大会に参加しました

11月25日土曜日に9号館921教室にて秋季大会が開催され、日本文学会乙会員でもある日本文学科同窓会の会員も参加致しました。
秋季大会では日本文学科同窓会の会員でもある亀井ダイチ利永子さん(94年卒・立正大学准教授)が「学生よ、好奇心を抱け」という演題で、講演しました。有益かつ刺激的な内容で、日本文学科の学生さんたちも講演後質問するなど感銘を受けていたようです。
また受付では日本文学科同窓会会報の「ひぃふぅみぃ」を学生さんに配布し(1年生には入学時に配布済)、受け取った学生さんは興味深く読んでいました。

青山学院大学文学部日本文学科70卒~74年卒5期合同同期会

9月23日(土曜日・祝日)青山学院大学同窓祭当日、日本文学科70年卒から74年卒の5期合同同期会を開催致しました。
猛暑続きの今夏でしたが、幸いにも当日は我々の集いを祝福してくれるように涼しく快適な夕刻6時、アイビーホール2F校友会室Aに40名弱が集まりました。中には卒業以来の再会という方も何人かいらっしゃりたり、懐かしそうに会話する方々、笑顔がいっぱい広がりました。卒業後約半世紀、皆様それぞれの道でご活躍なさった様子が会話から伝わってより一層会場が盛り上がりました。
各期からスピーチする方をお願いして、卒業後約半世紀の歩みを紹介して戴いたり、また現在の心境を話して戴いたりしました。皆様それぞれが自分の歩みとともに感慨深い時間を過ごしたと思います。
8時過ぎに、ピアノの伴奏つきでカレッジソングと讃美歌405番を歌い上げた時、青山学院の同窓生であることが改めて胸に刻まれました。
同期会は企画も参加もはじめの一歩が重要です。参加して戴くことで盛り上がり、皆が集う交流の大切さに気づいた、素晴らしい宵となりました。
なお、当日のプログラムと幹事は以下の通りです。
■プログラム
〈1〉開会挨拶
〈2〉祈祷
〈3〉集合写真撮影
〈4〉乾杯 田中康博(71年卒)
〈5〉3分スピーチ
〈6〉独唱 草間なな子(71年卒)
〈7〉合掌 カレッジソング、賛美歌405番
■幹事
塚本昌子(70年卒)、室惇子(70年卒)、松本三枝子(71年卒)、深山和子(72年卒)、岩崎紫子(73年卒)、永田陽子(74年卒)

「第20回日本文学科同窓会 教養講座」文芸講演会

 2023年7月29日(土)13時半より青山キャンパス17号館17512教室にて開催された「第20回 青山学院大学文学部日本文学科同窓会教養講座」文芸講演会は、同窓会会員で日本文学科教授の山本啓介氏をお迎えして、「兼好法師と和歌」という演題でご講演戴きました。その模様をお伝えします。

 連日の猛暑の中、文芸講演会が開催されました。講演に先立ち、会場とオンライン聴講の参加者に向けて、会長松岡嗣直氏からの挨拶がありました。
今年は二回目のハイブリッド型講演会ということで、同窓会ではZoomミーティングプロを購入しました。今後は役員会や講演会だけでなく様々なところでZoomを活用して行こうと思っています。
 講演は、まず兼好法師の伝記に関する最新の研究をふまえ、従来信じられてきた吉田社系卜部(後の吉田)家の家系ではなく、鎌倉幕府第十五代執権北条(金沢)貞顕に仕えた人物であった可能性の紹介から始まりました。そして兼好法師の略年譜と共に、『徒然草』はおよそ一〇〇年にわたって広くは読まれていなかったこと、存命中はむしろ歌人として著名であったことが解説されました。膨大な資料を駆使しながらの、穏やかな話しぶりに、歌人としての兼好のイメージがくっきりと浮かび上がってきました。
 こうした経歴をふまえて、講演は『兼好法師集』の和歌に移っていきます。『兼好法師集』の雑纂形態が歌集としては特異であることや巻頭の変体漢文による兼好の理念を解説し、巻頭七首を例に挙げ、連想による配列がなされていること、それは『徒然草』の章段配列とも共通することなども解説されました。聴講者は、それぞれ『徒然草』の様々な章段を思い浮かべながら、連想による配列を想起できたことでしょう。
 さて、いよいよ講演の核心となるのは、『兼好法師集』六九~七九番の、いわゆる鎌倉・金沢への旅の歌群です。この歌群の和歌について、兼好法師の二度目の鎌倉下向という説が無批判に受け継がれていたことに対して、個別に詠まれていた和歌を一連の旅の記であるかのように並べたものである可能性が示されました。それぞれの歌のことばを解説しながら、歌群の謎に迫っていく知的で刺激的な講演でした。
 さらにもう一つ、鎌倉時代末期の作を含む歌群についても紹介があり、詞書によって鎌倉幕府の倒れる前の作であることのわかる歌が集の終わり近くにあり、時代の大きなうねりと兼好の和歌との関わりが説明されました。時間に余裕があれば、もっと細かく講義したいという雰囲気を漂わせつつ、講演は終了しました。
 卒業生からの熱い質問や在学生の感想もあり、熱気溢れる講演会でした。
「〈吉田兼好〉という人はいないんですよ」
かつて本学で中世文学を担当なさっていた池田重先生の、最初の講義での言葉です。一九八八年四月のことでした。当時の池田先生のお話は、兼好法師は卜部氏の出身だが、この家系が「吉田」を名のるのはもっと時代が下ってからのことであり、兼好在世の時期には「吉田」などと呼んでいないというものであった。あれから三十五年、吉田氏どころか卜部氏としても出自が異なるという刺激的な講演に、日本文学研究の深化を実感しました。

山本啓介(やまもとけいすけ)氏(1999年卒業)青山学院大学文学部日本文学科教授。中世文学・和歌専攻。神奈川県小田原市生まれ、1995年日本文学科入学、1999年卒業、2008年大学院博士課程修了。新潟大学教育学部を経て現職。著書に『文芸会席作法書集』(共編)、『詠歌としての和歌 和歌会作法・字余り歌』、『和歌文学大系 為家卿集他』(共著)、『歌枕の聖地』などがある。

創設20周年記念講演会概要

2022年7月9日(土)に開催された「青山学院大学文学部日本文学科同窓会創立20周年記念講演会」は、松本侑子先生をお迎えして、「金子みすゞの世界」という演題でご講演戴きました。以下松本先生より講演に関する文章を戴きましたので掲載します。


 講師の松本侑子と申します。先日7月9日は、日文ご創立20周年のおめでたい機会に講演をさせて頂きまして、誠にありがとうございました。
 この催しは、オンラインとリアルを併用したハイブリッド方式で実施されました。私は拙宅からZoomで講演。それを全国のご卒業生様がご自宅のパソコンなどで視聴、また大学の教室には学部生、院生、同窓生、先生方が、スクリーンでご覧くださいました。
 講演では、まず今年2022年1月に、NHK教育テレビで放送された番組「100分de名著」の「金子みすゞ詩集」全4回に指南役として出演したエピソードからご紹介しました。
 そして童謡について。童謡は、今は幼児の歌ですが、大正時代に童謡詩が誕生した時は、活字で読む詩歌文学でした。童謡詩が誕生した背景には、大正デモクラシーがあり、明治時代の国家主義的な、お国の役にたつ児童観から離れて、それぞれに個性をもった子どもの心を自由に芸術的に表現する文学的な気運がありました。
 童謡詩は、北原白秋、野口雨情、西條八十など、比較的若い詩人が手がけ、大正時代に創刊された子どものための文芸誌「赤い鳥」「金の船」「童話」に、毎月、名作を発表します。
 童謡詩は人気を博し、曲がついて歌になり、レコード、ラジオといった新しいメディアの発達により、全国に広まります。「このみち」「七つの子」「かなりあ」「赤とんぼ」など現在も愛唱される童謡の傑作は、大正時代の童謡運動に創られたものです。
 雑誌「赤い鳥」「金の船」「童謡」には、投稿欄がもうけられ、全国の読者が盛んに童謡詩を応募しました。
 その頃、金子みすゞは山口県の漁師町に暮らし、女学校に通う文学少女でした。みすゞは本屋の娘であり、これらの雑誌を毎号、愛読して育ちます。そして20歳になると童謡詩の創作を始め、月刊誌「童話」の投稿欄に応募。選者の西條八十に詩才を認められ、彼女の類いまれな想像力から生まれた詩が毎号のように誌面を飾り、人気の投稿詩人になります。
 しかし昭和に入ると、軍国主義的な風潮から、子どもの悲しみや寂しさや夢を素直に詠う童謡詩の精神はすたれ、童謡雑誌は廃刊休刊。みすゞは発表媒体を失い、また私生活や健康上の問題もあり26歳で自死。生前は一冊の詩集もありませんでした。また戦後も、童謡詩が文学として復活することはありませんでした。
 しかしみすゞの死から半世紀が過ぎた昭和50年代、みすゞの弟で、詩人・脚本家・劇団「若草」創設者の上山雅輔(かみやまがすけ)が保管していた姉みすゞの詩集ノート3冊を元にして、金子みすゞの全集が初めて刊行され、500作を超える詩の全容が明らかになります。
 さらに平成に入り、上山雅輔は亡くなったものの、彼が大正時代の10代から平成の80代まで、70年間書き続けた日記とノートが四国で発見され、私はそれを数年がかりで読解。
 初めて判明したみすゞの新事実を元に、雅輔日記を引用しながら、詩を愛した姉と弟の小説『みすゞと雅輔』を書きました。雅輔は、昭和初期に、菊池寛の文藝春秋社で働いていたことから、『みすゞと雅輔』(新潮文庫)の文庫解説は、菊池寛研究の第一人者の片山宏行先生にご執筆頂きました。
 このように講演会では、金子みすゞの生涯と詩の世界を、大正デモクラシーに生まれた自由な童謡詩が昭和の戦争により衰退するまでの歴史と合わせてご紹介し、みすゞの代表作「大漁」などを朗読、解説しました。みすゞの詩の特徴は、視点の逆転、比喩のたくみさ、小さな命によせる愛、宇宙への壮大な意識と私は考えています。
 講演では、みすゞのふるさと山口県長門市仙崎、詩を書いた下関で撮影した写真も上映しました。熱心にお聴き頂き、みすゞの詩に関心をおよせ頂きまして、嬉しく存じました。
 講演会の準備と運営でお世話になりました片山宏行先生、國領文子様、松岡嗣直様、武居辰幸様、みなさまに、あらためまして御礼を申し上げます。(講師記)

松本侑子(まつもとゆうこ)作家・翻訳家。著書に『巨食症の明けない夜明け』(集英社文庫、すばる文学賞)、評伝小説『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(光文社文庫、新田次郎文学賞)など多数。訳書に日本初の全文訳・訳註付『赤毛のアン』シリーズ全8巻(文春文庫)が刊行中。