地球の過ごし方【三重】
2024年10月10日
〈地球社会共生学部で教授をしていた桑野淳一先生。津に構える自宅でのインタビューに加え、各地を案内しながら三重のリアルを教えてくれました〉
「三重」の由来は?
まず三重は、京都、それ以前に奈良に近いから歴史が古い。三重って名前自体が、ヤマトタケルが東国平定の帰路に当地を通った時に、もう足が大変で、普通足は2つにしか折れないのを3重にガクガクと折ったっていうので、それで三重っていうんですよ。
三重って書くから昔の3つの国が合わさって三重県になったと勘違いする人もいるけど、実は江戸時代の国で言うと、4つの国が1つになったんよ。今の中心部は伊勢の国。その他に伊賀の国、志摩の国、紀州。紀州は東の方が三重県になっている。市で言うと熊野や尾鷲だね。だから4つの国が1つになっている。
〈松阪有数の観光スポット、御城番屋敷。江戸末期に紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ長屋の武家屋敷で、全国でも大変珍しく今も人々の暮らしが営まれています。映画の撮影地としても有名です〉
県内の序列
三重県で1番大きい街は、誰がなんと言っても四日市。人口は四日市が1番。四日市市がダントツで、2番目が今は津なんだけど…町村合併して、県庁所在地という意地もあってやっとなんとか2番につけたけど、かつては3番目だった。1番が四日市で2番は鈴鹿、3番が津というのが合併前の人口序列だった。
ただ鈴鹿も中心が3つあってね、即ち神戸という古くからの城下町、白子という近鉄沿線の商業エリア、サーキットや本田技研のある平田町。3つ中心があるから鈴鹿は大きいけど、捉えどころがない。でも人口では2番目だった。それを平成の町村合併で久居市などを合併したので、津が抜いちゃったんだよ。だから今は四日市→津→鈴鹿→松阪、5番手が伊勢か桑名だね。ただこれは人口比の序列であって、都市にはそれぞれ固有の機能があるから、甲乙を論じる訳にはいかないね。
〈四日市と言えばコンビナート夜景。多くの工場鑑賞愛好家からは憧れの聖地と考えられており、1度は訪れてみたい工場夜景都市です〉
〈江戸時代の町並みを色濃く残す東海道47番目の宿場町「関宿」。津市、鈴鹿市、伊賀市と隣接する亀山市に位置しています。江戸から明治期にかけての町屋が約200軒も連なる様子は圧巻で、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。ノスタルジックな雰囲気でタイムスリップ気分を味わえ、つい時を忘れてしまいます〉
〈伊賀流忍者博物館は日本で唯一の忍者の博物館です。忍者屋敷ではくノ一や忍者が屋敷内の様々な仕掛けを案内してくれます。超本格的な忍者ショーは連日大盛況で、多くの外国人観光客を集めています〉
人がいない…津の現状
津は県庁所在地だけど、街のメインストリートでも車しか走ってない。歩いている人間はいない。1番ど真ん中、東京で言えば銀座の4丁目だよ。ダイエーが来たけど、誰も歩いていないのを見て「こりゃ駄目だ」って。数年で撤退したよ。だから津の街に来ても食事するところが少ないんだよね。松菱というデパートはあるよ。
しかし近くには松阪など、見ても、歩いても、食べても美味しい街が点在している。これらの街々を歴史を少し紐解きながら歩くのは人生至福の時となる。
〈津市の中心部で存在感を放つフェニックス通り。違和感を超越したヤシの木が特徴的です〉
〈愛知県にある中部国際空港、セントレアまでを結ぶ高速船が運航しています。片道45分で2980円です〉
付いた異名は肉の芸術品――松阪牛はなぜ有名?
松阪牛は網焼きが美味しいんだよ。やっぱり2、3枚食べると5、6万円。その辺の政治家は平気で食べに来るけど、1人で5、6万円だからね。安いやつでも2、3万だね。昔はそんなに高くなかったんだけど。安いより高くした方が売れるんだよ、ブランドで。
和田金って松阪牛の店は、かつて東京市の市長を務めた「憲政の神様」尾崎咢堂が好んで行く料亭で、尾崎咢堂の間があった。今、和田金は鉄筋の建物にしたけど、昔は和風の味のある建物だったね。
松阪牛は他の全国のブランド牛とそうは変わらないけど、牛にビールを飲ませるから有名になったんだ。牛はそれで酔っぱらって、モーモー泣くんだよ。顔が赤くなるのよ。そうすると、霜降り肉になるっていうんで。牛肉の赤身じゃなくて霜降りができるから。僕は好きなんだけど、霜降りは脂肪分だから医者に止められているんだよ。「あんた肝臓悪いからやめとけ」って。それから脂肪や肉類をあんまり食べなくなって、体が健康に戻ったね。
〈和田金は明治初期創業の老舗で、松阪牛の顔とも言える超有名店です。広大な自社牧場を持ち、丹念に育てた極上の松阪牛が味わえます〉
でも松阪は食通の街と言われるほど有名なので他にも美味しいものは多いね。天ぷらも美味しいしね。ところが、「松阪牛」のブランドが有名すぎて、外国からもお客さんが来るので、そちらばかり有名になるけど、何を食べても美味しい。
ちょっと手を抜いたり、ちょっと高いとすぐ潰れるんよ。松阪牛だけは高くても仕方ないけど。美味しい店は他にもいっぱいあるんだ。やっぱりちょっと手を抜くと潰れてるね。
それから、うどん。松阪牛の入った牛肉うどんとか色々あるけど、どれも似たようなもんだよ。おそらく若い子は微妙な味の違いは分からないし、量がたくさんあった方がいいから、焼肉を山盛り食べた方がいいような気もするけれどもね。安いところでいっぱい食べたらいいと思う。それでも1万円は超えるね。
松阪はなんと言っても日本一の商人の街
三大財閥では三井の出身地だけど、その下の財閥で、東京で財を成した長谷川家や小津家も松阪の出身だから。有名なのは小津財閥の分家で、映画監督になった小津安二郎。東京物語などを撮った監督だ。それで印刷部門だけ残ったんだよ。小津印刷。今は名前を変えてオリエント印刷ってなってるけど、そこの社長の息子で、今社長になったか分からないけど、彼は青山の卒業生だよ。よく会ったりしてたんだけど、どうしたんかな。
あの清少納言が太鼓判!榊原温泉
清少納言の枕草子の中に当代一の名湯として榊原温泉のことが書かれているが、この温泉は日本三名泉として今も湯がこんこんと湧いている。コロナで旅館も半減したが、それでもずばり清少納言という名の旅館は営業している。PH9.6という美人の湯に浸かれば肌はツルツル。
ハチ公の飼い主、実は三重出身
忠犬ハチ公を飼っていた上野英三郎博士は、東京帝国大学で教えていたけど、三重県出身なんですよ。知る人ぞ知るっていうだけのことだけど。知らないでしょ?久居駅にあるハチ公の像も渋谷のものとそっくりだね。
江戸城などを担当!津藩の初代藩主、藤堂高虎は屈指の築城の名手
藤堂高虎を祀っている高山神社も有名なんだけど、やっぱり人はいない。田舎に住んでいると、畳み方をしっかりとしないと大変なことになるってなんとなく分かるね。みんな「こうやったら発展する」って言うけど、人口を考えれば発展しようがないんだから。上手に畳みながら、観光開発するところはしてね。津もまだ良いところがあるんだから、やらなきゃいけないんだけど駄目だね。
〈織田信包(信長の弟)が1580年に創築した津城の跡です。津は城下町として発展してきました。その後、藤堂高虎が1611年に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直しました。現在では、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、 復興された角櫓の三層の白壁に老松が生え、苔むす石垣とともに昔を偲ぶことができます〉
〈伊賀上野城も藤堂高虎によって築城されました。白鳳城の別名でも親しまれています。現在は当時の内堀と石垣、1935年に建てられた天守閣が残っています。内堀の石垣は日本有数の高さを誇り必見!〉
見応え抜群!津のヨットハーバー
お金持ちは結構ヨットを持っていて、休日にはクルージングするんだ。係留料がだいぶかかるけど、地方は地方でそれなりに裕福な人たちも居るんだよね。
「あいつ“阿漕”な奴だな」
阿漕の語源は、阿漕平治っていう親孝行の本当に素直な立派な息子。お母さんが栄養不良で倒れて寝込んでしまった時に、彼は親孝行もんだったもんで、「母ちゃん、何が食べたい?」なんて言って。お母さんは「もういいから」って言ったけど、「ちょっと待っとれ」と。「ヤガラを捕ってきて食べさせるから。そしたら元気になる」と。
ヤガラっていうのは魚。当時、ここの伊勢湾は魚の禁漁区だったんだよ。ところが、お母ちゃんにヤガラを食べさせて、元気になってもらいたいから、海に入ってヤガラを捕ったんだよ。それが見つかって「この馬鹿野郎!禁漁区に入ったな」って。簀巻きにされて海の中へ投げ込まれて、阿漕平治は死んじゃったんだよ。
だけど、親孝行って周りはみんな分かっている。その投げ込まれた浜は阿漕浦と言い、以来、あんな惨いことをしなくていいのにと。だから「阿漕な人だ」「あいつは阿漕だね」「そんな阿漕なことすんな」って言われるが、それはこの津の阿漕という地名が語源になっている。
三重発!スーパースター
色々いるけれども、みんな東京に行っちゃってるからね。例えば、プロ野球選手で言えば沢村栄治。宇治山田市、今の伊勢市の出身だよね。最近だとレスリングで記録を打ち立てた吉田沙保里。うちの息子と同年輩で、親父は僕の友達だった。
歌手のあべ静江は知ってるかな。あべ静江は僕の同級生だったな。話したこともあるよ。あと妹の友達のドン小西とか。色々いるみたいだけど、もう分かんないんだよ、みんな都会に出てしまっているから。
〈御城番屋敷に隣接する松阪工業高校。津市出身でオリンピック3連覇を果たした吉田沙保里さんの父、栄勝さんが事務次長を務め、レスリング部の指導もしていました。
同校は1902年に創立された三重県で最も歴史のある工業高校です。木造校舎の外壁は、実験に用いる硫化水素の影響を受け黒変することがないようにと、朱色に塗装されていました。そのため学校自体が「赤壁(せきへき)」と呼ばれ、多くの人に愛されながら歴史を紡いでいます〉
ラストメッセージ!
物事には多方面から見て、色々な答えを導き出すこともありますが、答えが1つだけというものも中にはあります。それで1つ質問しますが、皆さんは生んでくれたお母さんを変えることができるでしょうか?答えは1つ、できません。ならば親孝行せねばなりません。
同じように母校を変えることはできるでしょうか?できません。ならば答えは1つ、母校を良くするしかありません。
皆さんは、皆さんの今の持ち場で、青山学院の卒業生であることに誇りを持って輝いてください。皆さんのご健闘をお祈りいたします。
Reported by Junichi